「帝国の慰安婦」名誉棄損裁判を批判する資格なし

 日本帝國主義体制高知地裁で行われていた、対警察官自転車追突致死事件の裁判が3日前に判決まで行き着きました。結果は禁錮3年・保護観察付執行猶予5年とかなり軽くなったのみならず、傷害致死罪で起訴されていたものを日本帝國高知地検側が故意性を立証できないという理由で重過失致死罪に訴因変更をして認められたため、職業裁判官だけでの審理・判決にまで至りました。また、求刑そのものも人民拉致裁判(裁判員裁判)だった時点では禁錮4~6年(不定期刑)だったものが職業裁判官だけでの審理になった際に禁錮2~4年になっていました。訴追罪状が人民拉致裁判で行う必要性がなくなっても裁判進行の都合で人民拉致裁判を継続することも認められているのですが、実際には職業裁判官だけの裁判になったということは、やはりというべきか、当事者全員にとって「やりたくない」裁判が人民拉致裁判だったことがこの経緯からもよくわかるというものです。加えて、この種の交通事件においては予備的訴因付で起訴するケース(今回の事例だと、傷害致死罪で起訴して認められなくても重過失致死罪なら認められるかもしれないという形)もありうるのですが、今回の扱いを見ればそもそも傷害致死罪での立件が無理筋だったということに他なりません。高知県内の日本帝國捜査当局が過大な罪状を吹っ掛けたとみなされても仕方なく、捜査機関関係者死亡事件という性格だけを重視してこの連中の威信を護ることが最優先だったと考えられる今回の扱いは大いに糾弾されねばなりません。

 さて、「帝国の慰安婦」名誉棄損裁判の控訴審が南朝鮮傀儡(大韓民国)ソウル高等裁判所で開かれ、一審の無罪判決を破棄して有罪判決となりました。この裁判では一審で日本帝國主義社会での人民拉致裁判(裁判員裁判)にあたる国民参与裁判が開かれたことからしても、日本帝國主義社会であれば人民拉致裁判の判断を覆しての有罪判決として相応に批判の対象になる経緯です。また、一審判決が下されたのは今年1月で、今年5月の左派政権誕生より前だったことも重要な意味を持ちます。南朝鮮傀儡社会においては社会のムードに判決が流されやすい側面も持ち、まして政権交代が実現した条件ともなればなおさら大きい要素になるからです。
 この裁判では日本帝國主義社会においても大きな批判対象になった経緯があります。日本帝國極右反動勢力にとっての従軍慰安婦論の問題に加え、言論の自由を侵害する訴追ではないかとの批判、特定の個人ではなく慰安婦全体への批判行為がそもそも名誉棄損罪に該当するのか?といった法的解釈の問題も持ち上がったからです。個人的には特定の個人に対する名誉棄損行為ではない以上、二審での有罪判決には少し疑問を持つところで、日本帝國主義社会においては私のみならず多くの勢力がこの判決をあらゆる視点から疑問視しています。とはいえ、日本帝國主義社会が今回の判決を批判できる資格や大義があるのかどうか十分考える必要もあるというものです。
 同時期にはインターネット上に哨戒艦天安号沈没が座礁だったとの書き込みをした人物に対して南朝鮮傀儡捜査当局がとんでもない名誉棄損ファッショ暴圧訴追を働いた件についても裁判が行われ、一審で有罪判決が出るという異常事態がありました。この事案は特定の人物に対する名誉棄損には該当しないことや、東アジアの安全保障にも大きく関わる事案として日本帝國主義社会でも決して無視できる問題ではありませんでした。しかし、日本帝國主義メディアはこの事案についてほとんど取り上げることなく有罪判決の批判もまるでありませんでした。要は、日本帝國主義体制にとって都合がよいかどうかによって二重基準的に他国の裁判を批判しているに過ぎないということを示したということです。
 このような二重基準的な批判を平気で働く日本帝國主義メディアの体質であれば、人民拉致裁判制度(裁判員制度)に対する批判言論によって政策が異常事態まで陥った際に、政策批判言論に対する名誉棄損訴追行為が行われたとすれば、それを平気で支持する扇動も働けるというものです。何しろこの政策に対して日本帝國主義メディアは一切の批判を許さない一方的な翼賛扇動を働いてきました。この政策の批判姿勢そのものが日本帝國メディア勢力にとって政策に対する「名誉棄損」と考えるのは至極自然なことです。お隣の裁判を日本帝國主義メディアが異常だと批判すればするほど、日本帝國主義メディアや司法の在り方の異常さが際立つこともありうるわけです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です