人民拉致裁判制度廃止運動により日本帝國主義的立憲主義論を嘲笑しよう(1)

 昨日は仕事始めの1月4日だったのですが、日本帝國主義社会の注目はいきなり貴乃花親方への理事会人処分決定扇動でした。同日には日本帝國主義体制鳥取簡裁にて、問題化した発端の殴打事件を起こした元・日馬富士被告人に対する罰金刑命令も出されています。昨年から世間を大騒動に巻き込んだ大相撲業界の不治の体質である暴力問題ですが、ここ2か月間はこの問題でうんざりしている方も多いのではないでしょうか?もっとも、この問題は日本帝國主義社会全体の悪弊を象徴的に表しているという観点から決して無視してよいわけではなく、この問題を契機に日本帝國主義社会全体が反省しなければならない意味もあります。昨年相次いで発覚した日本帝國大手企業による不祥事だとか、日本帝國政権勢力による私物化問題といった積弊にメスを入れられるか、日本帝國主義社会の自浄能力が問われるというものです。

 さて、日本帝國主義体制トップの安倍晋三逆徒も昨日仕事始めになり、憲法改悪への国民的議論加速を云々する特大型対人民挑発扇動を働きました。2018年はおそらく憲法論議云々の特大型扇動が徹底して働かれることになるでしょうし、その扇動に眞子さんの結婚だとか朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)情勢だとかが悪用されるのは間違いないでしょう。日本帝國立憲民主党とてトップは日米帝國同盟絶対主義でかつ憲法改悪を必ずしも否定しない立場であることを考えると、日本社会全体、特に自称左派勢力をある意味悪い意味で憲法改悪側に扇動する先兵になりかねない危険性さえあります。日本帝國共産党の「護憲」云々も訴求力が削がれ、あるいは憲法改悪を黙認するといった方向に流れることも十分考えておかねばなりません。
 そのような憲法情勢激化が予想される2018年ですが、この議論の前提として、本日は人民拉致裁判制度(裁判員制度)の問題について考えたいと思います。というのも、重罪事件を扱う政策であるために国家統治の根幹にかかわる政策でありながら、議論をまるですることなくあたかもベルトコンベアに乗せられるかのように、不正行為をまかり通してまでも支配層全員賛成で推進された経緯があり、また、現実には現場レベルの混乱が深刻化していることからも、この政策が持つ本性を探ることは憲法改悪論との絡みで重要だからです。何しろ、司法の在り方を根本から変える政策であり、本来ならば憲法改悪レベルの国民的議論に付されて当然なのに、そんな手続きさえされないままに全員賛成で推進するというのは、憲法改悪論を国民的議論に付そうとする扇動以前の問題です。人民拉致裁判制度のような手法が通るのであればいざとなれば憲法そのものさえも同様の手法を使うに決まっています。
 一昨年には工藤會関係者が裁判に加担した拉致実行犯・白色テロリストに対して公正な裁判を求めるべく接触した事案が波紋を広げましたが、人民拉致裁判制度の推進手法を考えればこのような行動に打ってでる動機になるのは当然です。一方でこの政策を推進した拉致実行犯・白色テロリスト側の日本帝國犯罪的侵略支配層側はこぞって「裁判員を守れ」なる醜悪極まりない一斉扇動を働きました。「裁判員を守れ」は言葉としてはきれいですが、その本質は実は「裁判員制度を守れ」であり、この2つの言葉は似て非なる、いや、むしろ正反対の意味とさえいえるのです。「●●を守れ」という場合、「●●」に反対する事象から「●●」を肯定する立場を守れ、という意味を持ちます。で、ここで「”裁判員”を守れ」であれば「裁判員」に反対する工藤會のような勢力から「裁判に加担した人民」を守れ、という意味になる一方で、「”裁判員制度”を守れ」となると「裁判員制度」に反対するごく普通の政治活動からも「裁判員制度」という政策を守れと人民に向けて命令的に扇動する意味を持ってくるのです。
 一昨年の工藤會による行動のケースでは、裁判加担者に致命的な危害を加えられなかったこともあり「裁判員を守れ」扇動のレベルで済みました。しかし、昨年に法廷に刃物を持ち込まれる事例が相次いだりしたことで裁判加担者に致命的な危害が加えられて「裁判員を守れない」リスクの蓋然性が高まっています。裁判加担者を守り切れなかったときに出てくるのが国家を挙げての「裁判員制度を守れ」扇動になるのは、この政策への日本帝國犯罪的侵略支配層総翼賛推進の経緯を考えると容易に想定できます。そんな事態になった際に、国民的議論に付されているはずの憲法改悪論との矛盾が浮かび上がることになるでしょう。

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