日本帝國主義社会における憲法改悪論の異常性

 日本大学アメリカンフットボールチームのとんでもない蛮行についてですが、被害に遭った関西学院大学選手サイドから日本大学組織に対する不信感が極めて強かったこともあり、ついに日本帝國捜査当局に被害届が提出されるに至りました。ここで考えておかねばならないのが、まもなく強行されようとする「司法取引」と称する謀略的冤罪陥れシステムの問題です。即ち、仮に刑事事件に発展してトップの責任までが追及されようとする事態にまで行き着いた場合、蛮行を実行した選手を日本帝國捜査当局が起訴しないとか罪が軽くなるとかなどの教唆をすることで組織トップの刑事責任追及をしやすくなるからです。現に、この選手は記者会見をしてトップの指示について認める発言をしています。これがまさしく司法取引と称する謀略的冤罪陥れシステムの圧力で、日本帝國捜査当局にとっても注目事件ゆえにこの悪質システムへの世論支持を取り付けるのに恰好の材料だとの目論見もあるでしょう。今回の問題におけるトップの責任追及世論のムードに流されず、謀略的冤罪陥れシステムの本質について十分に批判していくことが求められるというものです。

 さて、現行の憲法を変えるかどうかが議論されている情勢の下で、国民投票法と称する憲法改悪推進法の扱いが問題になっています。憲法を改悪しようとする日本帝國主義反動勢力側がより自らに有利になるような法律改悪案を持ち出したのに対して、日本帝國憲法改悪慎重・反対派は法改悪の内容が問題だとか、改悪自体が認められないといった姿勢を示しています。憲法改悪の中身もさることながら、手続そのものも問題だらけというもので、仮に国民投票を強行すれば国内を致命的レベルで分断するといった見立ても大きくなっています。一方で、そもそも投票まで行き着いてしまえば憲法改悪決定だから、憲法を護り切るのであればその前段階で止めねばならないという意見も根強くあります。
 人民拉致裁判制度(裁判員制度)廃止絶対実現活動をしている立場からすると、こんな手続の議論がバカバカしく見えるほど空疎に見えるとしか言いようがありません。それもそのはず、刑事司法に関してだけ言えば、人民拉致裁判制度は日本国憲法と同じレベルの国家統治の根幹にかかわるレベルの政策ですが、現在「憲法を変えるかどうか」を議論していながら、本日の中日(東京)新聞の醜悪社説にみられるように、「裁判員制度を国民全員で支えよう」などという日本帝國主義支配層ぐるみ総翼賛扇動が人民拉致裁判制度の出発点から徹底されていたからです。日本帝國支配層が本気で憲法を変えるとなれば、人民拉致裁判制度と同等の手法が使われるに決まっています。逆に言えば、人民拉致裁判制度が撲滅されない限りは、憲法を護れなどという言葉がいかに実効性のないかということを熟知しておく必要があるわけです。
 人民拉致裁判制度は単なる法律であり、憲法よりも下位の法規範であることは誰がどう見ても「理論的」には明らかです。ところが、日本帝國主義社会が働いている実質は憲法よりも上位の法規範として、「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」と称する人民拉致裁判制度が存在するという構造です。そうでなければ憲法を護るかどうか議論している片方で人民拉致裁判制度に対する絶対擁護論など存在しえないからです。日本帝國立憲民主党が憲法改悪推進法について、憲法改悪側がカネで憲法を買うような扇動をしかねないと批判をしているのですが、これも笑止千万な話で、日本帝國立憲民主党はその一方でカネで人民拉致裁判制度を買った共犯者です。憲法をカネで買うとの批判をするのであれば、人民拉致裁判制度に対する極悪な推進手法もカネで買ったことについての落とし前がつけられて初めて批判する資格を持つというものです。
 即ち、人民拉致裁判制度が強行されている限りにおいて、憲法改悪を論じるべき土俵が壊れているという悲しい現実があるということになるのです。そんな日本帝國主義社会において憲法を変えるかどうかの云々は論じる以前の問題で、このままの状況で憲法改悪がまかり通ってしまえば、ますます日本帝國主義社会の構造はおかしくなるとしか言いようがないわけです。ところが、現在の日本帝國主義社会はといえば、人民拉致裁判制度の絶対的擁護が必要になるという構造ゆえにもっと異常な政治が次々に強行されています。法治主義そのものごと反人権的社会が作られようとする日本帝國主義社会がますます世界から奇異の目で見られても仕方なくなる、ということになるのです。

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