圧政の被害者であると自覚させる世論喚起が必要だ

 想定される東海・西日本太平洋沖巨大地震や首都圏直下地震における被害想定について、ある学会が長期的には1000兆円の単位になるという調査結果を公表して波紋が広がっています。国家予算の10倍以上にも匹敵する被害想定ともなれば、それはアジアの弱小貧困国家にまで落ちぶれるとまでこの学会が指摘するほどの危機感を持つのも至極自然です。この種の社会混乱が起きる想定がされ、なおかつこの地域において国際的にも大国の利害関係が衝突する現状を考えた場合、社会混乱が実際に起きた際には周辺諸国のいわゆる「援助合戦」が繰り広げられることも想定されます。日本帝國主義体制社会において大陸諸国との敵対扇動が徹底的に行われている関係で、アメリカ合衆国帝國主義体制を頼るしか能のない卑屈根性が染みついているのですが、現在のドナルド・トランプ逆徒のような体質をもった政権がアメリカ帝國主義体制トップにいれば、仮に国難レベルの大災害に遭遇した場合に、近隣大陸諸国からの支援以外に選択肢がないという事態に追い込まれる可能性もあります。明日にでもそのような大災害が仮に起きてしまったとして、太平洋諸国からの援助は拒絶された場合、日本帝國主義体制安倍晋三逆徒は大陸諸国からの援助を受けるくらいならば国民全員一蓮托生になろうなどと扇動する可能性が極めて高く、そんな安倍晋三逆徒政権こそが我々日本の善良な人民にとっての特大型リスクであることも認識しなければなりません。

 さて、人民拉致裁判(裁判員裁判)対象となる罪状の中で、通貨偽造とか薬物や銃器の密売・密輸といった類型にはある特徴があります。それは、その類型そのものに直接の被害者はいないという構造で(だから、通貨偽造よりも先の偽造通貨行使となると直接被害者が出るためここでは論じる対象にならない)、人民拉致裁判対象になる最高刑無期懲役まで吹っ掛けられるのは、このような犯罪類型が国家や社会の致命的混乱を招く要因になりかねないためです。通貨偽造だけでも偽造された通貨が大量に出回ると世界レベルの経済混乱を引き起こしますし、銃器は当然凶悪事件を簡単に引き起こすことができる意味で社会不安を招き、薬物乱用も精神不安から凶悪犯罪を簡単に引き起こす人間を作り出すことになります。それゆえ、直接被害が出た際に社会大混乱に至るような犯罪類型は、その原因を引き起こすような行為についても重罪で接するという法律構造にしているのです。
 直接被害の出ない犯罪類型の疑惑というと、最近では日本帝國主義体制トップによる自らに都合の良い教育機関に対する不公正な便宜供与の件が取りざたされています。贈収賄や公務員による背任行為は、人民の税金を行政が歪めて使う行為となるため人民とか社会全体が被害者になるのですが、人民レベルでその被害に気付きにくい構造があるだけでなく、行政側が開き直ると責任追及に限界が生じる事態にも陥りかねません。実際、現在の日本帝國主義体制トップサイドは現場の担当者だけに責任を押し付ける態度を貫き、トップレベルの責任は事実上不問か形式上責任を取るレベルの処分にとどめるような対応を働いています。折しも、公文書毀棄などの容疑にて日本帝國大阪地検特捜部が容疑のかけられた関係者全員を不起訴にし、現在は検察審査会に申し立てが行われたりもしているのですが、日本帝國捜査当局も容疑者サイドとグルになってしまえば、被害者側にとって犯罪の責任追及が不可能になってしまうわけです。
 ただでさえ犯罪行為に気づきにくい構造を持つのがこの種の合意による犯罪類型なのですが、それでも不公正な合意に気づいて告発する市民も出ていて、このような市民は不公正な合意の被害者であるとの主権者意識をもっているから可能なことです。それも、日本帝國メディア勢力が不公正な合意について批判的な報道をしてきたからに他ならないのですが、仮に日本帝國メディアが不公正な合意行為について不作為的に報道をしなかったり、むしろ不公正な合意行為の加担者だったりしたらどうなるのか?これがまさに人民拉致裁判制度(裁判員制度)の総翼賛推進の構図になります。この政策は市民にとって極めて精神的にも物理的にも負担の大きなシステムであり、また、裁かれる被告人にとっても厳罰化の被害を被る構造があります。しかし、これらの負担を一方的に背負わされる裁判加担者や重罪被告人にとって自分がこの不条理な政策の被害者だと気づいていなければ被害を訴えることさえできません。日本帝國犯罪的侵略支配層は、市民や重罪被告人に対してこんな圧政の「被害者」であるとの自覚さえも奪うような手法で推進しているというわけです。
 主権者として日本帝國犯罪的侵略支配層の圧政の被害者であるとの認識さえ奪うような手法で推進する政策であれば、強制的にでも日本帝國犯罪的侵略支配層による圧政の被害者であるとの認識を植え付けていかねばなりません。そして、圧政を批判できないものは圧政の加担者であるとの意識も広める必要があります。と同時に、圧政の被害者が国家犯罪的政策への批判世論喚起として具現化できる手法を講じる必要も出てきます。このような手法が危険などうかの問題ではなく、そのような抵抗手段を講じさせる原因を作ったことにそもそもの問題があるのだからやむを得ないというわけです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です