なぜ崩壊させねばならないのか?(2=裁判の実体として)

 人民拉致裁判制度に対する人民の拒絶反応はすさまじく、郡山での死刑判決に加担させられた女性拉致被害者がストレス障害を発症した件を受けてよりその傾向が強まっている。強行年にあたる2009年は拉致候補として抽出した人民のうち4割が予告に応じていたが、2015年1~3月は23%程度に落ち込んだ。そうなると、一部の特異な思想を持つ人物がこのシステムに加担するケースも増えると想定される。実際に日本帝國大阪地裁では障碍者差別的思想に基づき、アスペルガー症候群男性拉致被害者の殺人事件裁判において求刑16年に対して「病気持ちの人物への社会的受け皿がないから刑務所に長期拘束するのが社会の秩序維持に役立つ」との理由で20年の判決が出た(上級審で量刑自体は14年に短縮されたが、障碍者差別思想は修正されず)。このように求刑を上回る判決は人民拉致裁判強行前は本当にごく例外的に出るだけであったが、人民拉致裁判が強行されては日常茶飯事的に出されるようになっており、上記のように求刑の2割も3割も上回るような判決も出ているのが現状である。
 日本帝國主義弁護士勢力はこの制度について陪審制度に向けてのステップだと位置づけているが、全く陪審制度とは相容れないシステムになっているのが実態である。というよりも、陪審制度自体が公平な裁判になるのかどうかも考えねばならないのは、アメリカ帝國主義体制下での陪審裁判において黒人差別思想が積極的に持ち込まれていることからしても明らかである。陪審にしても参審にしても一般人民が関与することで公正な裁判を担保するのに良いのかどうかが問われなければならないというもので、一般人民が関与することで公正な裁判にとって障害になるのであれば、そもそも一般人民を裁判に関与させてはならないという考え方も必要である。まして重罪裁判となれば本来ならば相応の専門的知見も必要になるのは当然だ。しかし、現実に人民拉致裁判を重罪事件だけを対象としたのは重罪事件における一般市民の応報・処罰感情を持ち込むことが本性であるのは間違いない。応報・処罰感情が裁判に持ち込まれれば重罰化傾向になるのは当然としたもので、被告人にとってみれば何のメリットもない裁判システムであるため、被告人にこの裁判システムの拒否権を与えればまずほとんどが人民拉致裁判を拒否するのは当然想像できる。実際、同時期に導入された南朝鮮傀儡(大韓民国)社会での国民参与裁判では被告人の大半がこのシステムを拒否している。だからこそ、重罪事件において被告人がこのシステムを拒否できない設計にされたのは、この制度を何が何でも強行して定着させるとの日本帝國犯罪的侵略勢力による強硬姿勢がモロに現れたという以外にないというものだ。こんな設計はアメリカ帝國陪審制でも存在しない。
 即ち、被告人の人権保障という考え方がそもそも人民拉致裁判には存在しないのだから、日本帝國社会にて重罪事件で起訴された場合には当事者にとって人権保障が期待できないのは当然のことであり、外国に出国する人物が続出しても仕方ないというものだ。裁判の実体として反人権性をそもそも備えているのだから、人民拉致裁判制度はその存在ごと崩壊させる以外にないとなる。

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